英語でcomfort zoneという言葉がある。これは日本語でいうと、安易な領域ということだろうか。実はこの言葉が非常に大事なように思えてきているところである。

  • comfort zoneはなに?
 comfort zoneは安易な領域ということで、実はこれは人生いたるところで発見できることだろう。例えば、右利きの方が右手を使い続けたいという話があるんだね。これは安易な領域を作れたということだ。また、地元になれてきて、どんなことであろうが、すぐに場所もわかり、用事を済ませようと思えば、すぐにできてしまう。これもcomfort zoneだ。また、今までの交友関係もその一つ、今まで学んできた知識も一つ、いわゆる常識というのも一つだ。comfort zoneは千差万別で、万人に共通せず、無数にあるということだ。ただ、comfort zoneは最初から私たちがもっているわけではない。我々がそれを作ったのだ。これは理解しておいてください。


  • なぜcomfort zoneの話?
 就職してから気づいたのだが、comfort zoneから出ることが私にとって非常に刺激的で、これまでの生活のエネルギーの源泉であることがわかった。だが、就職してから、こういった刺激的な部分が大分なくなってきた。何かが欠けているように思っている。もちろん、仕事で新たなことにチャレンジして、そういう部分を見つけようと思えばできなくはないのだが、どうも仕事をしている以上、立場上、自分のやりたいことを独自のアイディアで最初からやって成し遂げることは大抵ない。ということになると、俺はやはり起業するしかないのかなと思い続けてきた。自分で自分のアイディアで生きるという選択肢もあるように思えてきた。ただし、何か具体的な行動を示せたわけではないのだ、今後それに向けて行動し、トライ&エラーで実行する必要があると思う。
そこで、このcomfort zoneから出ることに気づいたわけだ。これをやらないと生きている気がしないのだ。毎日が同じ会社員の生活は人によっては妥協できるが、私は違うと思った。なので、comfort zoneの話は今後の人生において気にかけて生きていかなければ私の満足がいく人生が得られないだろうと思う。

  • Comfort zoneから出ろ
 私の言いたいことはこの一言に尽きるが、「comfort zoneから出ろ」!
 実は人生では生まれてから、comfot zoneを一個一個作り、それを出続けてきたのだ。例えば、最初に歩くことができたとき、それは歩くことができるというcomfort zoneを作った。また成長して、我々は走ることができるようになり、それは我々が歩くことというcomfort zoneから出ることによって、新たな発見ができるようになったという話である。これは少し小さい話で、大きい話だと、人類もそうだ。人類は次から次へとテクノロジーを進化させてきた。また、人間がたどり着ける物理的な領域も広げてきた→Elon maskが火星移住という莫大な夢を実現させようとしているのはまさにこの話だね。

 子供の時に、当たり前の行動だが、それは誰であろうが、いつであろうが、いかなる話にも適用する話である。しかし、単純にcomfort zoneから出てチャレンジしようと思っても、いわゆる常識、習慣、上下関係などにより、我々社会人は自由に新たなcomfort zoneを作りだせることが難しくなっているような気がしてならない。

 特にこの枠に人をはめようとする日本社会はひどいと思う。出る杭は打たれるという言葉の通り、一般人が目立ったらそれが悪だというように人からの批判を受けるのだ。おっぽど努力をしなければ、出る杭が打たれる運命になってしまう。それが今の日本の現実かもしれない。もちろん日本全体がそうなっているとは言っていない。ただ、こういった現実があるのは事実であろう。

 特に現在中国ではイノベーションの時代になっている。私は中国の人々のハングリー精神を観察し続けてきたのだ。一方で、現在の草食系の文化が流行っている日本。仮想通貨業界を見てもそうだが、中国由来のプロジェクトが多数あるのに対し、日本は仮想通貨により盛り上がっているが、プロジェクトの数でいうと負けている。それは日本の文化、日本の特性などもかかわっていることはわかるが、今後やはり間違いなく世界をリードするのはイノベーション大国になると思う。それは中国なのか、アメリカなのか知らないが、現状を見ると日本ではないことは確かだ。

日本社会だろうが、なに社会だろうが、comfort zoneから出ない以上イノベーションも、個人の真の幸せもない私は思うので、私はこれから行動で示し、出続けていきたいと考えている。